2017-05-08 第193回国会 衆議院 予算委員会 第19号
宮城の仙台市の出版社の代表である土方正志さんが、今回のこのような東北蔑視の心というのはまさに平成の白河以北一山百文だと表現されています。土方さんは、ずっと被災者の方々の声を集めた本を出版されている方でもあります。
宮城の仙台市の出版社の代表である土方正志さんが、今回のこのような東北蔑視の心というのはまさに平成の白河以北一山百文だと表現されています。土方さんは、ずっと被災者の方々の声を集めた本を出版されている方でもあります。
仙台市の出版社、荒蝦夷の代表の土方正志さんという方が、復興の司令塔である閣僚らが繰り返す失態、つまり、今村大臣以前にもさまざまなことがあったということを指しているんですけれども、経済的側面でしか震災をはかれない政治の無理解のあらわれ、こう指摘している。私、すごくこれは大事だと思うし、自分の気持ちにとてもぴったりくる言葉でした。
また、被害当事者には、加害者から隠れて生活したり、逃げ惑う人もいて、金銭的に余裕がないケースが多い、これはNPO法人全国女性シェルターネットの土方聖子共同代表の言葉でございます。
今大臣おっしゃっておられたことを聞きながら、私、選挙に出る前に一時期ガス会社で土方をやっていたことがありまして、一緒に作業をしていますと、地元の地場の職人さんって本当にまじめに、雨が降ってきてもちゃんとごみを整理して、埋め戻すのはもう何年先か分からないようなところをきれいに、現場は本当に使命感を持ってやっているわけでございまして、是非大臣、そういった方が正当に報酬を得るような方向で頑張っていただきたいと
の三多摩壮士、土方歳三の生誕の地でもあります。 そういうふうな観点の中で、昭和三十九年、四十年代の経済成長に相まって、都市化の波が押し寄せ、いわゆる農地が、農地法三条、四条の届け出だけで宅地化がどんどん進んで、農地が非常に少なくなってしまいました。 私は、昭和六十二年に日野市議会に参画し、地方自治の現場で十六年間働いてまいりました。
どういうことになるかはわかりませんが、恐らく函館の土方歳三あたりが後半あたりで出てくるのかな。北海道は今盛んに知事選挙をやっている最中ですけれども、別にそのことに結びつけるわけではありませんが、そうなると、道南の函館を中心にして、確かに観光的にはいろいろな意味で全国的にも脚光を浴びています。来年の「新選組!」
主に近藤勇を中心に作家は脚本を書いているようでありますけれども、新撰組といえば土方歳三が当然出てきます。そういう面で、地元なり、最期の地であります五稜郭等についても地元からいろいろな要望が来ております。そういう面で、今現場の方も、そういう地元の意向を酌みながら、どういうふうにまとめていくか、前向きに検討しているというふうに聞いております。
しかも、土方作業はどんどんなくなっていくんですから。
元々農業をやりながら土木、土方の作業をしていたという人は多いわけで、そういう部分が本質的にあるわけですね。ですから、そういう多様化をしていく努力をする。そして、今ある、多過ぎる建設業、六百万人と言われた雇用者がどんどん減っていく中で、ほかの仕事を探さなければいけない。建設業が多様化して、従業員もいろんなことをしなければいけない。それは市場に任せればいいんだと。そうかなと。
ですから、当面こういう事業をやっていかれるということを私は全く否定はいたしませんけれども、私も土木を専攻した人間で言いますと、事業団の性格はこんな土方作業をやるというような事業団ではないんじゃないか、変わっていくべきではないかというふうに私は思います。この点についてはもう申し上げるだけで、次に移らせていただきます。
今までの公共投資の役割は確かに景気の上向きに乗らなかったけれども、日本の雇用、特に農村では皆さんが土方に行くのです。雇用を維持したのです。だから、必ずしも悪い面ばかりではなくて、先行投資の中で、ただ、中の問題はいろいろあると思います。しかし、雇用を確保したというのが私は最大のあれだと思いますね。 今後もアメリカ型の雇用がされてくると、もう家を建てる計画も、教育をする計画も立たぬのです。
このときのことを運送屋と言わずに、土方が下請しているんだというのじゃなくて、このことを逓送とたしか言っているはずであります。 車で運送するような時代になって、これは土方が片手間でやる仕事じゃないということでその任は解かれたのですけれども、そうした思い、あるいはもっと言えば、働く人たちもいまだに全逓といって、やはりこの逓の字を大事にしていられます。
何を言っているのかというと、日ごろは土方だとか日雇いなどで養蚕を続けられるように別に稼ぎをとっている、そういうふうにして頑張っておられるわけです。みんな畑は守りたい、三千円なら何とか後継者を入れようかということになるが、というのが圧倒的な養蚕農家の声であります。
七百人で林業もだめ、現金収入というと土方へ行くか、あとは役場の職員、農協の職員、森林組合はもうだめですから。そういうところが果たして、今諸先輩の議員の方々から十万人程度だとか、分権を推進されても現実問題として受け皿がないという。五十三市町村あるわけです。八十二万人が五十三市町村に散らばっていますが、約四割の人口が高知市におるわけです。
農業をしながら兼業しながら、あるいは地方においては建設業、土方の仕事をしながら汗水流している金を実は農協に積んでおるわけであります。その金が何か、農協が悪い、農民が悪い、こういう批判というものがもはや耐え切れない、こういう地方の声も我々国会議員は率直に感じなければならない。
これは、国会で発言する言葉としては非常に不適切ですが、昔の江戸時代の言葉を引用いたしますと、この言葉は適切な言葉じゃないのですけれども、それは堪忍してもらって、あえてわかりやすいように言うわけでありますが、江戸時代は、土方殺すにゃ刃物は要らぬ、雨の十日も降ればよいとうたわれたこともございました。
それこそ、俗に言う土方働きでもと思ったけれども、心臓が悪いということで働けなかった。
私も実は大変、こういう言葉遣いをすると、また同じ世界に住んでいる人たちにべっ視だなんていって非難をされるかもわかりませんが、私は根っからの百姓土方のうちに生まれた者でありまして、産めよふやせよの時代の、十人生まれたのですが二人亡くなって、私は残っている上から三番目なんでありますが、まあそういう立場で、先ほど申し上げたように小さな島国の中で日本人があの敗戦の中から立ち上がった。
つるはしを使わずに、スコップへ足をかけてずっと入るような土地を掘るのに、つぼ掘りといいまして、一人前の土方仕事のできる、つまり労働者という意味。昔は人夫と言っておりましたが、丈夫というような意味で丈夫と言っていた。あれは丈夫やと。丈夫というのは、朝から晩まで一立坪、だから大立米掘るのですよ。
問題は、こういう一般化できる見通しがどうなのかという問題と、親の心予知らずという言葉がありますが、建設省がそう思っておりましても、一般の建設企業というのは、相も変わらずどんぶり勘定で、土方を殺すには刃物は要らぬ、雨の三日も降ればいいという程度の非近代的な状況に置かれているというふうに言っても過言でないと思うんです。したがって、建設省の親の心はなかなか企業がくんでくれない。
ところが裁判官がどうしてそれを信用しておるかといったら、前段の調書の中に検察官がどういう調書をとっておるかといったら、おまえ確かにそれを二百メートル運搬したのか、運搬しました、いや私は以前土方をしておるときにセメント袋を二俵ここへ提げて動きよったのですからと、大でたらめ言っておる。そうしたらそういう経験のない者は本当かと思う。今はセメント袋は四十キロだけれども、当時は五十キロだった。